大阪地方裁判所 平成4年(ワ)4344号 判決 1997年9月11日
原告
曽我部教子
ほか一名
被告
株式会社道祖神
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告曽我部教子に対し、金八八四三万一〇〇〇円、同吉原のり子に対し、金三一三〇万四〇〇〇円及びこれらに対する平成六年八月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、アフリカ旅行に行った原告らが、ケニアにおいて「バルーン・サファリ」と呼ばれる企画(熱気球に搭乗して上空を飛行する企画であり、以下これを単に「バルーン・サファリ」という。)に参加したところ、熱気球のゴンドラが着陸時に転倒する事故に遭遇し、これにより頸髄損傷等の傷害を負ったことから、アフリカ旅行に関して旅行契約を締結した被告に対し、民法四一五条に基づき、損害賠償請求(ただし、原告曽我部教子については、内金請求)している事案である。
一 争いのない事実等(証拠摘示のない事実は争いのない事実である。)
1 当事者
(一) 被告は、昭和五四年に設立された株式会社で、旅行業法三条所定の登録を受けて一般旅行業を営んでいる(証人池田裕子)。
(二) 原告曽我部教子(昭和一八年一一月一二日生。以下「原告曽我部」という。)は、昭和六三年ころ、兵庫県尼崎市立若草中学校の教員であり、原告吉原のり子(昭和二三年四月一日生。以下「原告吉原」という。)は、そのころ、大阪府門真市立二島小学校の教員であった。
2 アフリカ旅行に至る経緯(甲三八、原告曽我部本人、弁論の全趣旨)
(一) 原告曽我部は、全国の小中学校、高校及び大学の理科教育を担当する教員らの有志によって結成された「極地方式研究会」の構成員であるが、昭和六三年九月ころ、同研究会の構成員らとともに一二ないし一三日間の予定でケニア、ナイロビ、タンザニア等へ野生動物の生態観察等を目的としたアフリカ旅行(以下「本件旅行」という。)を計画し、旅行計画について被告と相談するようになった。
(二) 本件旅行の旅行先、宿泊場所、旅行開始日及び期間等の大要は、原告曽我部や他の旅行参加者の希望によって決定され、原告曽我部や同吉原をはじめとする合計一一名(男性五名、女性六名)が本件旅行に参加することになった。
(三) 原告らと被告は、平成元年、本件旅行に関し旅行契約(以下「本件旅行契約」という。)を締結した(ただし、その内容は後記認定のとおり。)。
3 事故の発生(以下「本件事故」という。)
(一) 原告らは、平成元年八月一日、日本を出発し、マニラ、バンコク、カラチ、ナイロビ等を経由して、同月五日、ケニアのマサイマラに到着した。
(二) 原告らは、平成元年八月七日、バルーン・サファリに参加したところ、熱気球のゴンドラが着陸時に転倒する事故に遭遇し、これにより原告曽我部は頸椎骨折、頸髄損傷、胸椎骨折、肋骨骨折等の傷害を、同吉原は頸髄損傷等の傷害を負った(甲一一及び一三の各1、2、一四、弁論の全趣旨)。
二 争点
1 被告の債務不履行責任の有無
(原告らの主張)
(一) 主位的主張
本件旅行契約は主催旅行契約であり、被告は原告らに対し、主催旅行契約に基づく債務不履行責任を負う。
(1) 本件旅行契約が主催旅行契約であったことについて
主催旅行とは、旅行業法によれば、「旅行業を営む者が、あらかじめ、旅行の目的地及び日程、旅行者が提供を受けることができる運送又は宿泊のサービスの内容並びに旅行者が旅行業を営む者に支払うべき対価に関する事項を定めた旅行に関する計画を作成し、これに参加する旅行者を広告その他の方法により募集して実施する旅行」をいい、これに関する契約を主催旅行契約という。
これに対し、手配旅行契約とは、標準旅行業約款によれば、「当社が旅行者の委託により、旅行者のために代理、媒介、または取次をすることなどにより旅行者が運送・宿泊機関等の提供する運送、宿泊その他の旅行に関するサービスの提供を受けることができるように、手配をすることを引き受けるものをいう」とされている。
主催旅行と手配旅行は、<1>旅行を計画するための主導権を旅行業者が握っているかどうか、<2>旅行代金の内訳が明示されず、一定額になっているかどうか、<3>旅行参加者を募るとき募集行為を伴うかどうか、<4>旅程管理義務の対象となるかなどの点によって区別される。
本件において、最初に本件旅行を思い立ったのは原告曽我部であるが、原告曽我部は、アフリカ旅行について何ら知識を有していなかったことから、アフリカ旅行について専門の評価を受けている被告に旅行計画等について相談し、被告の提示した旅行計画を参考にして本件旅行を計画したのであるから、被告は、旅行計画の作成について積極的に関与していたといえる。
また、本件旅行の旅行代金は、個々の運送機関や宿泊代金等が包括されて定められていた。
さらに、被告は、原告曽我部に対し、旅行参加者の人数を増員するよう求め、最終的に本件旅行に参加することになった旅行参加者に対し直接募集・勧誘行為を行った。
そして、本件旅行には被告の添乗員が同行し、旅程管理にあたっていた。
以上の事情を総合すれば、本件旅行契約は主催旅行契約であったというべきである。
なお、旅行業者以外の者(オーガナイザー)が旅行を企画し、参加者を募って旅行団を組織した上、実際の旅行手配を旅行業者に委託して実施する旅行を一般に「オーガナイズド・ツアー」といい、本件旅行も原告曽我部がオーガナイザーの役割を果たしたと考えれば、オーガナイズド・ツアーであったともいえる。
この場合、運輸省の通達によれば、相互に日常的な接触のある団体内部で参加者が募集され、オーガナイザーが当該団体の構成員である場合は、旅行業者はオーガナイザーから手配旅行契約で引き受けて差し支えないとされているが(その例としては、同一職場内で幹事が募集する場合、学校等により生徒を対象として募集する場合等が挙げられている。)、オーガナイザーが単に企画募集を行うのみで、旅行契約は旅行業者との間に成立し、旅行代金は直接旅行業者に払い込むものであれば、これは旅行業者の主催旅行であるとされる。
本件では、旅行参加者の中には極地方式研究会の構成員以外の参加者もいたうえ、極地方式研究会は、その会員が全国に散在し、年に二回程度研究交流集会を開催する程度の相互連絡の密でない団体であったから、相互に日常的な接触ある団体内部で参加者が募集されたというものではない。また、本件旅行の参加者は、直接被告に対し旅行代金を送金している。
したがって、オーガナイズド・ツアーであったとしても、本件旅行は主催旅行であったというべきである。
(2) 主催旅行契約の旅行サービス提供義務違反について
主催旅行契約は請負類似の契約であり、旅行業者は、旅行者に対し、約定通りの旅行サービスの内容を提供する義務を負い、もし旅行サービスの内容が約定通り履行されない場合には、その原因が旅行サービス提供機関にあったとしても、これによって生じた損害を賠償する義務を負うというべきである。そして、この場合、旅行サービス提供機関は、旅行業者の履行補助者になると解される。
本件旅行において、原告らとの間で熱気球を飛行させる契約(以下「熱気球飛行契約」という。)を締結したのはトランス・ワールド・サファリ社(以下「TW社」という。)であるが、TW社は被告の手配代行者であって履行補助者であるから、TW社の過失及び同社のパイロットの過失は被告の過失と同視できる。そして、本件の熱気球を運転操作したパイロットは、離陸地点に風速計等の設備がなく、予想飛行空域全体の飛行条件を知る設備もない状態の下で、本件事故当日の朝、強風で飛行を見合わせていたにもかかわらず、被告の添乗員であるジョージの強い働きかけにより、当初の判断を曲げて飛行に踏み切り、また、風が収まるのを待つ間に上昇温暖気流(サーマル)が発生する危険性が高い時間帯に飛行を開始し、さらに、熱気球が着陸する際に事故が発生しないよう万全の注意をすべきであったのにこれを怠った結果、本件事故を起こしたものである。
したがって、被告は、原告らに対し、右の履行補助者の過失を理由とする民法四一五条(主催旅行契約の旅行サービス提供義務違反)に基づく責任を負う。
(3) 主催旅行契約に付随する安全確保義務違反について
被告は、原告らに対し、主催旅行契約上の付随義務として、原告らの生命、身体等の安全を確保するため、旅行内容の全ての点にわたってあらかじめ十分に調査検討し、専門業者として合理的な判断をし、また、その契約内容の実施に関し、遭遇する危険を排除すべき合理的な措置をとるべき注意義務(以下「安全確保義務」という。)を負う。
しかし、被告は、次の通り右義務を怠り、その結果、原告らは本件事故に遭遇し損害を被ったのであるから、被告は、原告らに対し、民法四一五条(主催旅行契約に付随する安全確保義務違反)に基づく責任を負う。
ア 旅程計画における安全確保義務違反
被告は、危険なバルーン・サファリを旅程に組み入れて主催旅行を実施したものであり、旅程計画自体が安全確保義務に違反する。
イ 旅行サービス提供機関の選定上の過失
被告は、熱気球飛行契約の相手方として、安全体制の確立されていないTW社を選定したものであり、旅行サービス提供機関の選定に過失がある。
TW社の安全体制は、風速測定装置や予想飛行空域全般の気象条件を把握するシステム等の科学的設備がなく、熱気球のゴンドラにはシートベルトもなく、事故が起きた場合の救助医療設備もないなど不十分なものであった。しかし、被告は、TW社の安全体制が万全のものであるか否かを調査せず、その結果これを知り得ず、またはこれを知りながら同社を選定した。
ウ 添乗員の安全確保義務違反
本件旅行において、被告は旅程管理義務を負うが、旅程管理義務の根本は旅行者に対する安全確保義務である。被告の添乗員ジョージは、旅程管理義務者として当該旅行の具体的状況に応じて旅行者の安全を確保すべき適切な措置を取らなければならない。
しかし、ジョージは、熱気球のパイロットが強風のため飛行を翌朝に延期できないかと申し入れてきたにもかかわらず、飛行を延期すると旅行者が翌朝も早起きしなくてはならなくなり、相当の疲労を招くことになるから、できるだけ今日中に飛行して欲しい旨要請し、被告の意向を無視することが事実上不可能な状態にあったパイロットに強風下での飛行を強行させ(TW社は被告の手配代行者であり、一フライトで五〇万近い売り上げを得ていた。)、その結果、強風下での飛行が原因となって本件事故が発生したものである。
したがって、被告は、ジョージの右安全確保義務について債務不履行責任を負う。
エ 説明義務違反
本件旅行当時、日本では熱気球の危険性が伝えられておらず、原告らは、熱気球の危険性について全く認識を持っていなかったのであるから、被告は、原告らに対し、熱気球の危険性について告知し、その危険性を十分に認識させた上でバルーン・サファリに参加させるべきであった。しかし、被告は、原告らに対し、熱気球の危険性について一切告知しなかった。
また、被告は、TW社が旅行者に対して熱気球搭乗前に損害賠償請求権を放棄する旨が記載された書類に署名させていたことも告知しなかった。
(二) 予備的主張
仮に本件旅行契約が手配旅行契約であったとしても、被告は、安全体制が不十分なTW社を選定した過失(旅行サービス提供機関の選定上の過失)及び添乗員の旅程管理義務に付随する安全確保義務違反(添乗員の安全確保義務違反)に基づく責任を負うというべきである。
(被告の主張)
(一) 本件旅行契約は主催旅行契約ではなく手配旅行契約であるから、主催旅行契約を前提とした原告らの主張は失当である。
主催旅行であるというためには、少なくとも旅行業者があらかじめ旅行の計画を決定し、旅行参加者を広告その他の方法で広く募集することが必要である。すなわち、主催旅行は、旅行に関する基本的な計画を旅行業者が定めるので、旅行者は手軽に旅行を楽しめる一方、あらかじめ決められた条件の旅行に参加するか否かの選択しかなく、旅行の内容に注文をつけることができない点が最も基本的な特徴である。
本件では、被告があらかじめ計画した旅行条件の下に一括して主催旅行商品として一般に広く募集したものではなく、原告曽我部が旅行計画そのものの作成を被告に依頼してきたことから始まったものであるから、この点一事をもって主催旅行の要件をみたしていないことは明らかである。
さらに、本件旅行の参加者は、原告曽我部が顔見知りの者たちに呼びかけて集めたものであり、被告が不特定多数の者に対し、旅行代金・旅程その他の旅行の計画をあらかじめ定めて、広告その他の方法で広く募集したものではない。
したがって、本件旅行契約は主催旅行契約でなく、手配旅行契約であったことになるが、被告は、旅行者の委託・依頼に基づいた手配を試みた時点で債務を履行したことになるから、原告らが主張するような義務を負わないというべきである。
(二) 本件事故は、原告らと熱気球飛行契約を締結したTW社の過失(パイロットの運転操作等の過失)によって生じたものであり、被告の管理外の事由によって生じたものであるから、被告に責任はない。
原告らは、TW社は被告の手配代行者であって被告の履行補助者であるから、TW社の過失は被告の過失と同視できる旨主張するが、TW社は被告の手配代行者ではなく、被告の履行補助者ではありえないから、原告らの主張は失当である。
(三) 原告らは、被告は、熱気球の危険性を原告らに告知すべきであった旨主張するが、本件事故が発生するまでの間にケニアで熱気球により重大な人身事故が発生したのは一回だけであったから、熱気球が危険であったとはいえない。
(四) 原告らは、被告は、安全体制の確立されていないTW社を選定したと主張するが、被告は、現地手配代行者を通じて少なくとも本件事故当時、ケニア国内の基準に従っても平均水準以上の安全性を有し、同国内法上も適法、適切な法令上の資格等を有するTW社を選定したものであり、かつ、パイロットも右水準を充足するものであったから、TW社を選定した点に過失はない。
(五) 原告らは、ジョージの旅程管理責任を前提にジヨージは安全確保義務を負う旨主張するが、旅程管理責任とは、旅行の計画等があらかじめ旅行業者によって定められている主催旅行契約の場合に限って旅行業者に課された責任であって、手配旅行契約の場合には旅行業者は旅程管理責任を負わないのであるから、手配旅行契約である本件においては、添乗員ジョージは旅程管理責任を負わない。よって、これを前提に安全確保義務を構成する原告らの主張は失当である。
仮にジョージに何らかの安全確保義務が存するとしても、本件において、ジョージが安全確保義務を怠ったとの事実は認められない。原告らは、ジョージがパイロットの飛行延期の申出を断って強風下の飛行を強行させた旨主張するが、そのような事実は存しない。
2 損害額(原告らの主張)
(一) 原告曽我部の損害
原告曽我部は、本件事故により、頸椎骨折、頸髄損傷、胸椎骨折、肋骨骨折等の傷害を負い、ケニアにて応急手術を受けた後日本に帰国し、平成元年九月一四日から関西労災病院に入院して治療を受けたが、四肢体幹機能全廃、四肢完全麻痺、第四頸椎以下の知覚運動完全麻痺、呼吸不全麻痺、頸椎運動制限・疼痛、全介助を要する状態であって、その労働能力を一〇〇パーセント喪失した。
(1) 逸失利益 八四三万一〇〇〇円
平成元年度の原告曽我部の所得額は七〇二万六〇六五円であったが、本件事故により、平成二年二月から平成三年一月までの一年間は二割の減給、平成三年二月から復職を果たした平成四年一月までの一年間は一〇割の減給を余儀なくされた。
(2) 入院慰藉料 三〇〇〇万円
(3) 後遺障害慰藉料 二〇〇〇万円
(4) 付添看護費 三〇〇〇万円
(二) 原告吉原の損害
原告吉原は、本件事故により、頸髄損傷その他身体各所に外傷を受け、受傷直後に現地にて応急手術を受けたが、四肢不全麻痺、第五頸髄レベル以下の不全麻痺等の症状があり、平成元年九月一三日より平成二年八月一一日まで星ケ丘厚生年金病院に入院して治療を受けたが、四肢の筋力低下が著しく、膀胱直腸障害により導尿の必要がある等、退院後も週に二回程度の通院治療が必要で、自宅にいる間もほとんど寝たきり状態であって、その労働能力を一〇〇パーセント喪失した。
(1) 逸失利益 八三二万円
原告吉原の本件事故当時の給与所得額は月額三四万一七四四円であったが、本件事故により、平成元年一一月から平成二年一〇月までの一年間は二割減給、平成二年一一月から平成四年八月までの二二か月間は一〇割の減給を余儀なくされた。
(2) 入院慰藉料 二二〇万円
(3) 後遺障害慰藉料 二〇〇〇万円
(4) 入院費用 六二万四〇〇〇円
(5) 付添看護費 一六万円
第三争点に対する判断
一 争点1(被告の債務不履行責任の有無)について
1(一) 前記争いのない事実等に証拠(甲二、三、五、一九、二七、二八、三一、三八、乙一の1ないし3、四、六、証人池田裕子、原告曽我部本人、弁論の全趣旨)を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 原告曽我部は、昭和六二年、極地方式研究会の構成員らとともにアフリカ旅行に行ったところ、アフリカ旅行に魅せられ、昭和六三年、再度アフリカ旅行に行きたいと思うようになった。
(2) 原告曽我部は、「地球の歩き方」という本で被告がアフリカ旅行を専門に扱っていることを知ったことから、被告にアフリカ旅行の相談をしようと考え、同年九月ころ、被告に対し、アフリカ旅行のパンフレットを送付して欲しいと依頼したところ、被告の従業員である陳義美(以下「陳」という。)から、「先日は弊社にお問い合わせ頂きまして、ありがとうございました。遅くなりましたが、弊社のパンフレットをお送りしますのでご覧下さい。但し、パンフレットのものは、日本からのパッケージツアーのみとなりますが、五名様いらっしゃれば、オリジナルのコースを組むこともできます。ご希望をおっしゃって頂ければ、見積りも致します。」などと記載された手紙及び被告が主催するアフリカ旅行が掲載されたパンフレット(甲一九)を送付された。
さらに、原告曽我部は、被告の従業員である三股久美から、「前略、このたびお問い合わせ頂き誠にありがとうございます。パンフレット等の発送が大変遅れ申し訳ございません。お客様のご予定されるご旅行の参考にして頂ければ幸いです。尚、ご不明な点がございましたら、遠慮なくお問い合わせ下さい。お申込みをお待ちしております。」と記載された手紙を送付された。
(3) 原告曽我部は、送付されたパンフレットを参考にして希望観光地を選び、また、パンフレットに記載されていたオプショナルツアーの中から「トウルカナ湖」行きと「バルーン・サファリ」を選んで、被告に対し、右オプショナルツアーを入れて旅行日程を組んで欲しいと依頼するとともに、全行程に添乗員が同行することを依頼した(なお、右パンフレットには、オプショナルツアーの主催会社は記載されていなかった。)。
陳は、原告曽我部の依頼を承諾し、同年九月二七日、御旅行見積書と題する書面を原告曽我部に送付した。
(4) 原告曽我部は、その後陳からの連絡が途絶えたため、平成元年二月ころ、被告に電話連絡したところ、陳は既に被告を退職しており、以後は被告の従業員である池田裕子(以下「池田」という。)が対応することになった。
池田が原告曽我部から本件旅行の相談を受けたとき、本件旅行の参加者は約八名であったが、池田は、ケニアで調達する車の収容人員が最大六名であることからすると車は二台必要になるため、約八名で必要経費を頭割りするよりは一〇名程度で頭割りしたほうが得であるから旅行参加者を増員した方がよいと原告曽我部に説明した。しかし、原告曽我部は、池田の申出を正確に理解できず、本件旅行を実現するためには旅行参加者を増員しなければならないと思い込み、既に決まっていた旅行参加者に対し、他にも参加者を募るよう求めた。その結果、最終的に原告吉原を含む一一名が本件旅行に参加することになった。
(5) 池田は、現地の手配会社であるドウドウ・ワールド・ケニア・オフィスとアーバー・クロンビー・アンド・ケント社(以下「AアンドK社」という。)に依頼して本件旅行の交通機関や宿泊先等を手配し、また、AアンドK社に依頼してバルーン・サファリにおいて熱気球を飛行する会社としてTW社を手配した。
(6) 原告曽我部は、同年三月三〇日、旅行参加者である井崎元輔(以下「井崎」という。)とともに被告事務所を訪れ、被告から、申込金として一人当たり三万円ずつを支払ってもらいたいとの説明を受け、また、手配旅行費用見積書(乙一の1)、日程表(乙一の2)及び旅行業約款(手配旅行契約)(乙一の3)を交付された。
そして、井崎は、同月三一日、旅行参加者一〇名分につき、一人あたり三万円ずつ合計三〇万円を立て替えて被告に支払った。
(7) その後、被告は、最終的な旅行計画を作成し、旅行計画書及び旅行代金請求書等を旅行参加者各人に送付した。そして、旅行参加者各人は、請求された旅行費用(旅行費用五七万八〇〇〇円〔オプショナルツアーの代金を含む〕、査証料二四〇〇円、旅行保険料一万六五五〇円、代行手数料六一八〇円の合計六〇万三一三〇円からすでに支払済みの三万円を控除した五七万三一三〇円)を被告に送金した。
(8) 被告は、本件旅行直前、旅行参加者各人に対し、手配旅行約款、パスポート、旅行日程表、ケニアに関する案内書等を送付した。
(9) また、本件旅行には、飛行機の添乗員として以前日本大使館に勤務していた佐藤研二が、アフリカの添乗員として現地ケニアの日本語ガイドで被告のスタッフであるジョージがそれぞれ同行することになった。
(10) なお、原告らは、本件事故が発生するまで、熱気球を飛行する会社がTW社であることを知らなかったし(これに反する旨の証人池田の証言は、甲三七〔赤澤潔作成の報告書〕及び三八〔原告曽我部作成の陳述書〕中の各記載に照らし、採用できない。)、被告から熱気球の危険性について説明を受けてもいなかった。
(二) 次に証拠(甲一の1、2、二三の1ないし3、三六の1ないし4、三七、三八、乙八の1ないし3、九、一〇、一四の1、2、原告曽我部本人)によれば、本件事故が発生するに至った経緯及び本件事故の原因等については、次の事実が認められる。
(1) 原告らは、平成元年八月七日午前五時三〇分ころ(現地時間)、バルーン・サファリに参加するため、宿泊先のキチュワ・テンボ・ロッジを出発し、午前六時三〇分ころ、熱気球離陸予定地であるマラ・セレナ・ロッジに到着した。
(2) 原告らは、ジョージから熱気球に搭乗するために必要であると言われた書類に署名した。右書類には英文で、事故が起きてもバルーン会社は一切責任を負いませんなどの旨が記載されていたが、ジョージは原告らに対し、その内容を説明しなかった。
(3) 原告らは、ジョージから熱気球飛行に関する注意点等の説明を受け、熱気球が離陸するのを待った。ところが、パイロットは、離陸地点の風速が約五から七ノット(なお、一ノットは一時間に一八五二メートルであって、秒速〇・五一四メートルである。)であると感じたことから、気球を膨らませるのには多少風が強いと考え、離陸を見合わせていた(なお、甲二二の3によれば、日本気球連盟の内規においては、地上風が秒速八メートル以上の時は気球を離陸させてはならないとされている。)。
パイロットは、ジョージに対し、風に不安があるから飛行を明日に延期できないかと申し入れたが、ジョージは、飛行を明日に延期すると原告らは翌日も早起きすることになって負担がかかるなどと主張して、できるだけ今日中に熱気球を飛ばしてほしい旨要請した。
(4) その後、パイロットは、午前七時ころ、離陸地点の風速が許容速度にまで減少したと判断し、気球を膨らませることを決定した(なお、そのころ、離陸地点付近から他の熱気球が離陸した。)。
そして、午前七時三〇分ころ、熱気球は無事に離陸した。
(5) 熱気球は、午前八時一〇分ころ、着陸態勢に入ったが、着陸時に熱気球のゴンドラが転倒し、本件事故が発生した(なお、先に離陸した熱気球は無事に着陸していた。)。
(6) 本件事故後、ケニア共和国の運輸・通信省の事故調査部門が本件事故の原因について調査したところ、本件事故は、強風による高速度着陸及び熱気球のゴンドラが転倒しやすい場所(平坦でない場所)に着陸したことが複合して生じたものとされ、また、熱気球のゴンドラの転倒を導くであろう要因や影響力等についてのパイロットの認識の不充分さが本件事故の寄与要因となっているとされた。
2 以上の認定事実を前提に本件事故につき被告が債務不履行責任を負うかについて検討する。
(一) 旅行サービス提供義務違反について
まず、原告らは、本件旅行契約は主催旅行契約であり、この場合、旅行業者は、旅行者に対し、約定通りの旅行サービスの内容を提供する義務を負い、もし旅行サービスの内容が約定通り履行されない場合には、その原因が旅行サービス提供機関にあったとしても、これによって生じた損害を賠償する義務を負うと主張する。
しかしながら、旅行業法一二条の三に基づいて定められた標準旅行業約款(昭和五八年二月一四日運輸省告示五九号、以下「標準約款」という。)によれば、「(第三条)当社は、主催旅行契約において、旅行者が当社の定める旅行日程に従って運送・宿泊機関等の提供する運送、宿泊その他の旅行に関するサービス(以下「旅行サービス」といいます。)の提供を受けることができるように、手配をすることを引き受けます。当社は、自ら旅行サービスを提供することを引き受けるものではありません。」と規定されており、旅行業者は、旅行者に対し、自ら旅行サービスを提供する義務を負うものではなく、旅行者が旅行サービスの提供を受けることができるように手配をする義務を負うにすぎないことが明らかである。また、証拠(証人池田裕子、弁論の全趣旨)によれば、被告は、本件事故当時、標準約款と同一の内容の約款に基づいて主催旅行契約を締結していたことが認められる。
そして、旅行業者が全ての旅行サービスを提供することは実際上不可能であること等を考えると、右約款がただちに不合理なものであるということもできない。
そうだとすると、原告らの右主張はそれ自体失当であるといわざるを得ず、右主張を前提とするTW社を被告の履行補助者と構成する原告らの主張もまたそれ自体失当といわざるを得ない。
(二) ところで、本件においては、被告の債務不履行責任の有無をめぐって本件旅行契約が主催旅行契約であったのかそれとも手配旅行契約であったのかが争点となっているが、前記一1(一)の事実を総合すれば、原告曽我部は、アフリカ旅行について専門と評価される被告に本件旅行の計画を相談し、被告から送付されたパンフレットを見てバルーン・サファリに参加しようと思い、被告の専門的知識・経験を信頼して本件旅行契約を締結したことが認められるが、このような場合、旅行サービスの提供について手配をする地位にある被告は、信義則上、旅行契約が主催旅行契約であるか手配旅行契約であるかにかかわらず、安全な熱気球飛行会社を選定すべき注意義務を負うと解するのが相当である(したがって、被告の債務不履行責任の有無を判断するに当たって、本件旅行契約が主催旅行契約であったのかそれとも手配旅行契約であったのかは関係がないと解されるから、この点については判断しない。)。
そこで、被告に熱気球飛行会社としてTW社を選定した点に過失があったか否かについて検討すると、前記一1の事実及び証拠(甲一の1、2、乙八の1ないし3、九、弁論の全趣旨)を総合すれば、被告の従業員池田はAアンドK社を通じてTW社を手配したものであるところ、一方で、本件事故を起こした熱気球にはシートベルト等の安全装備が設備されていなかったこと、熱気球離陸地点及び着陸地点には風速計等の科学的装置が設置されておらず、もっぱらパイロットがその経験に照らして風速がどの程度であるかを推測し、離陸の可否を決定していたことなどの事情が認められるが、他方で、本件熱気球は、一九八六年に英国で製造され、耐航空性能証明書付きでケニアに到着し、TW社の名称で正式に登録され、耐航空性能証明は毎年更新されていたものであって、本件事故後、英国の工場で行われた検査の結果、本件熱気球は本件事故当時、耐航空性能のある状態であったこと、パイロットはアメリカ合衆国連邦航空局商業パイロット許可証、ケニア商業パイロット(熱気球)許可証を有しており、本件事故が発生するまで約一九二〇時間の熱気球による飛行経験を有していたこと、TW社は、一九八七年五月半ばから熱気球飛行を行っているところ、本件事故が発生するまで約八五〇名の乗客を搭乗させており、その間、重大な人身事故を起こしていないこと(ケニア共和国においては、本件事故が発生するまで十数年間にわたって何千時間も熱気球を飛行していたが、その間、重大な人身事故が起きたのは一九八六年に地上職員が重傷を負ったという事故一件だけであった。)などの事情が認められることを考慮すると、被告が熱気球飛行会社としてTW社を選定した点に過失があったということはできないというべきである。
よって、旅行サービス提供機関の選定に過失があったとする原告らの主張は理由がない。
(三) 次に添乗員の安全確保義務違反について検討する。
前記一1(一)の事実を総合すれば、被告は、本件旅行の企画段階から旅行計画作成に関与しているところ、原告らは、被告の専門的知識や経験等を信頼して、アフリカ旅行に添乗員が同行することを被告に依頼し、これを受けて被告は本件旅行に添乗員を同行させたものと認められ、このような場合、被告は、信義則上、旅行契約が主催旅行契約であるか手配旅行契約であるかにかかわらず、添乗員が同行する当該旅行の具体的状況に応じ、旅行者の安全を確保するよう適切な措置をとるべき義務を負うものと解するのが相当である。そして、この場合、添乗員はいわゆる履行補助者として右義務の履行に当たると解するのが相当であり、添乗員に右義務違反が認められる場合、被告は債務不履行責任を免れないというべきである。
そこで、添乗員ジョージに右義務違反があったか否かについて検討するに、前記一1(二)の事実によれば、ジョージは、パイロットが強風を理由に飛行延期を申し入れたのに対し、何とか今日中に熱気球を飛行してほしい旨要請し、その後、パイロットが飛行を決定して熱気球を離陸させた結果、強風下における着陸が一因となって本件事故が発生したことが認められる。
しかしながら、添乗員であるジョージが旅行日程をすみやかに消化するためにパイロットに対して何とか今日中に飛行してほしいと要請すること自体、ただちに非難可能な行為とはいい難く、それでもなお右要請が安全確保義務に違反するといえるためには、右要請時に吹いていた風が、熱気球飛行には明らかに危険であると認識できるほど強いものであったことなどの事情が認められることが必要であると解されるが、本件において右のような事情を認めるに足りる証拠はない(パイロットが飛行をためらった際の風速は、パイロットの感覚によれば約五から七ノット程度であったが、この程度の風速であれば、ジョージが明らかに熱気球飛行が危険であると認識できたとは考えにくい。)。
さらに、本件においては、パイロットは、熱気球が離陸した時間帯の風速について、離陸に支障がない程度に減少したと判断していること、熱気球を飛行させるか否かを最終的に決定するのはパイロットであるとされていること(乙一〇)、本件熱気球の離陸時間より前に他の熱気球が離陸し、かつ無事に着陸していること、本件事故の原因は、強風下における着陸だけでなく着陸場所の状態も関係しているうえ、パイロットの運転操作ミスも関係している可能性もあることが認められ、これらの事情を考慮すれば、ジョージの右要請と本件事故の発生との間の相当因果関係も認め難い。
そうだとすれば、ジョージの安全確保義務を理由として被告の債務不履行責任を問うこともまた困難であるといわざるを得ない。
なお、原告らは、TW社のパイロットは、ジョージの申出に事実上拘束される立場にあった旨主張し、これに沿う証拠(甲三七〔赤澤潔作成の報告書〕)もあるが、右証拠は、赤澤の意見を述べたにすぎないものであるから、右証拠の存在は、右認定、判断を左右するものではない。
したがって、ジョージの安全確保義務違反を前提とする原告らの主張もまた理由がないといわざるを得ない。
(四) 説明義務違反について
前記一1の事実によれば、被告は、熱気球の危険性について原告らに説明していないが、本件事故発生前にケニアで発生した熱気球による重大な人身事故は一件だけであったこと、本件事故当時、被告においてもバルーン・サファリが危険であることを知らなかったこと(証人池田、弁論の全趣旨)に鑑みれば、バルーン・サファリの危険性を原告らに告知しなかったことをもって被告の債務不履行責任を基礎付けることはできない。
なお、被告は、熱気球搭乗の際の書類の内容及びバルーン・サファリを実施する会社がTW社であることについて原告らに説明していないが(被告は、旅行業者として、原告らに対し、これらの事項についてきちんと説明すべきであった。)、本件全証拠をもってしても、右説明義務違反と本件事故との間に相当因果関係を認めることはできないから、これをもって被告の債務不履行責任を基礎付けることもできないといわねばならない。
(五) 旅程計画自体の安全確保義務違反について
原告らは、旅程計画自体が安全確保義務に違反する旨主張するが、前記認定のバルーン・サファリの危険性の程度からすると右主張も理由がないといわざるを得ない。
(六) その他、被告に債務不履行責任があるとする原告らの主張に即して検討しても、これを認めることはできない。
二 以上によれば、原告らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからいずれもこれを棄却する。
(裁判官 松本信弘 石原寿記 村主隆行)